毎日が日曜日
私の作業小屋に住み着いた野良の猫が子供二人と暮らしてる。
最早、野良とは言えないのかも知れないが毎朝私の手作りの朝ごはんを待っている。
このネコたちの食事の世話は休み無く続けている。
休日の日、盆暮れ、正月休み、大雨、大雪、、、休み無く会いにいく。
特別な用の無い日はそこで読書、お絵描きなどして2、3時間過ごす。
彼らは私の傍でかたまって食後のひと寝する。
母猫は私の膝の上で寝てくれる。至福時間である。
私の仕事は年配の方、高齢者からの依頼が多い。
私もその部類に入る同世代であるが定年退職した方との会話に
「植木屋さんは定年が無いから羨ましいです。」と言われる。
「年金生活は生活の心配が無く悠々自適でしょう。」
「それが大変なんだよ。遊んで暮らすのは1日の時間が長くどうしてもテレビの前に座るようになる。」
奥方は日々の生活でちまちまと雑事をこなしそれなりに忙しい。
一方、定年退職のしたての亭主の生活は悩ましい。
昼飯にちょいとビール1缶のつもりが2、3本となる。その後長い昼寝になり夜は眠くない。明け方までウロウロして明け方からしっかり寝てしまう。
もうこう成ったら昼夜逆転間違いなしになる。
昼前のスーパーはご高齢カップルで買い物してるのが多く見られる。
奥方の後をカートを押して歩く亭主の姿も微笑ましい。
僅かなカップルであればそれもスーパーの風景に馴染んで気にならないがほとんどが高齢者では歪な社会に見えてくる。
中には選手交代のように奥方がパートに出て亭主が家事をになってるお宅もある。
互いに離れ離れの時間があり家内環境がしっくりいってる。
なまじしっかりした社会保障の生活より不足分を協力して補う生き方が生きてる実感があるのだろう。
作業場の住人の野良ちゃんたちも時々蛇、蛙、鳥など捕らえてくる。
目の前でバリバリ音を立てて噛みついて食ってる。
「ちゃん、生はうめーニャン」中でも頭部がうまいそうだ。
セキレイが一番犠牲になってる。
生きる為の保障のない世界は喜怒哀楽そのものだ。
言い換えれば最低か最高の世界であり遊んで生きる世界ではない。
悠々自適は果たしていかほどの充足感があるだろうか。
命のリミットが迫るのにそれでもやっぱり生き方に悶々とするのは人間だけなのだろう。
人間が作るものに完璧はない。年金制度は鼠講だと言った政治家がいた。
足りなくなっても団塊の世代が遺産相続税をたんまり残してゆくという。
あほくさい。
また雪が降り出した。
もはや野良猫ではない。若い職人さんの股ぐらで昼寝する親子猫。この傍でお絵描きをしている。見てるだけで癒される。
冬景色 雪の日はアトリエ「作業小屋」に籠って読書とお絵描き三昧。
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