傷の話。
庭仕事をしていると樹木の幹にシュロ縄や針金、
果てはロープが巻き付いてそれが食い込んでいかにも誰かの虐待ような姿をまま見かける。
長年放置されたものはその幹内に食い込みその一端が見える。
その紐の結びは移植された時の転倒防止の支柱の結び目である。
支えられた若木は風による転倒もなく助かったのだが、定着して成長していくうちにやがてその紐は己の成長に甚だ迷惑な代物となる。
植物に限らず生き物には生まれ落ちた時、場所、種類によって
その時点から運、不運に見舞われる。
たんぽぽの綿毛が川面に落ちれば発芽する機会は限りなく少ない。
一方で河原の土手に舞い降りれば発芽して子々孫々の元になる。
仕事柄よく山鳩の巣に出会う。
その巣は小枝を積み上げただけの子育てをまるで無視した造りである。
それもそのはずだ。卵から出てきてわずか5、6日で飛び立つ。
天敵から身を守る術を身につけたのである。巣にこもっていては烏の餌になる。
子育ての喜びも母の愛もそこにはない。
ただ天敵から逃れるために山鳩が得たサバイバル法である。
山羊が絶壁で暮らすのはそこに天敵が近寄れないからである。
足を掛けた石が崩れればその石と共に落下していく。それでも天敵から襲われる危険より安全だとしてそこを生息域とした。
小魚が群れになって一丸となって生きていく。
天敵に誰かは食べられるかも知れないけど残りのものは生き延びられるからである。
生き残れるのは自分かも知れない。
里山の雑木林は石油、ガスが出回る近年までは日々の暮らしの燃料であった。
その雑木林は切られても再生する樹木で構成されてる。
種を落とし、ますます生育域は過当競争となり弱いものは退場していく。
昔の話だがベトナム、湾岸戦争の米国の帰還兵が、
激しい殺し合いの体験で日常の生活ができない人もいれば平然とできるのもいるという。
子供の頃の親の虐待で大人になってもその体験が澱となってもがき続けるという。
織田信長が数多の人々を殺してやがて殺された。太平洋戦争で軍人の暴走で数えることができない人々が苦しんだ。
ローマ帝国、モンゴル帝国の時代、文化大革命、ベトナム、湾岸戦争、現地の至る所にその傷跡が今に残る。ローマ人、モンゴル人、フランス、アメリカ、イラク人そして日本人の血を分けた子孫と見られる人々がいる。
戦争で虐げられて深い傷を負った人々はそれを超えて生きてきた。
その証が今生きてる人の混血人である。
彼らの遠い昔の祖先が大きな傷を背負いながら生きながらえて今生きてる子孫を残してきた。
幹に針金や、ロープを巻かれてもそれを体内に取り込んで生き延びる木、運不運をものともせず生きる命、生死極まる体験をしてもそれを乗り越える人々。
兵庫県知事選挙に負けた方の話だが
「私が勝っていれば兵庫県のためには良かったかも知れない。」
「負けたことで日本の国全体が良くなります。」
兵庫県の人々の大きな傷は確かに日本の選挙制度改革に大きな役割を果たす。
傷は命を強くする妙薬でもある。
間も無く新しい年が来る。きっと世界は変わる。
枇杷の木の支柱 クルジー、助けでー。と言ってる
椿の木、完璧に体内に取り込んでいる。こうなっては取り除くことができない。
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