敵か、味方か。
表題は言い方を変えればプラスかマイナスか、男か女かであり、
また色でいえば白か黒かになり、生き物ではネズミ、猫。
働いてるところでは雇用する人される人になる。
若い頃狂おしいほど愛した夫婦だって時には敵になるし、可愛いめんこい猫様も時には爪を立てる。
世間には7人の敵がいるそうだ。確かにいる。
朝の通勤時の車の合流を容易くしてくれる人、しない人。
赤信号でも入って来る人。黄色で止まる人。
他愛無い振る舞いが互いに敵味方になる。
当人は雑草が生えても気にならないが隣家から苦情を言われる。
その苦情対策に私の方に草刈り除草対策の仕事が依頼される。
雑草の生えたお宅も苦情言う隣家もその雑草は迷惑千万な雑草である。
その除草作業を依頼される当方にとっては飯の種になる貴重な存在である。
立場が違うと憎たらしい敵であり、また頼みもしないのに毎年生えてきて助かる味方になる。
一年で20mも伸びる葛蔓は、野山を這いずり至る所に覆いかぶさる。
コンクリート、アスファルト舗装も放置すればたちまち姿が見えなくする。
そんな葛の根は風邪薬や高級和菓子の原料になる。
早春の杉花粉は日本全国民を花粉症にしてしまう。
そんな杉の木だが木造新築の家に入ると芳しい杉の香りに包まれる。
この香りでアレルギー症状を起こす人はいない。
春の草は草丈が低いのが特徴だ。
夏草秋草の草丈の高い世界では背丈の低い草は生存できない。草丈の低い春の草は晩秋に発芽する。その頃草丈の高い秋草は立ち枯れて地面に日差しが当たるようになる。
その日差しを待って春草が発芽する。極寒の寒さを凌ぎ早春に開花するのだ。
草丈の高い草のない季節を生き延びるまさしく敵のいない間に生を謳歌する優れものだ。
こんな世界は何も植物の世界だけの話ではない。
ネズミが夜行性でそれを捕らえる猫が夜が活発に活動する。
我が家のお猫様は私の腕を枕に一緒に寝てるがカリカリの食事が絶やさず出されては、夜行性はおざなりになる。寝飽きて真夜中走り回ってはいるけど。こちらは深い眠りの中であり、気にもならない。
この頃はワイフと寝るよりお猫様と寝た方が休まるから不思議なもんだ。
まぁ敵味方は当人と相手がいれば大なり小なりありうる。植物も動物もその定義から外れない。
「俺は知事だぞ」と言えばその反対に「お前は何様」となる。
「殿様と呼びなさい」と言えば「お前はバカか」となる。
「俺は知事だぞ」言った人は現役の兵庫県の知事だし、
「殿様と呼びなさい」と言った村長は当地宮城県の大衡村の元村長の馬鹿者だった。
当時パワハラを受けた女性が現在村長として活躍してる。
いわゆる敵の中のその人が その村の仕事をしているのだ。
殿様だった彼は石を持って追われるごとく村外へ出て行くへ知れずとなった。
「俺は知事だぞ」と声を荒げた彼は幼少時から英才教育を仕込まれ、出世はしたけど彼の中には「実ほど首を垂れる稲穂かな」とか「九尺二間が始まりでー」の村田節など記憶にないだろう。
入試教本をひたすら記憶しその鍛錬をし続けられる人が東大のような国立大学に入る。
人が何人死んでも心が動かない心の歪な人柄が現れる。
「俺は知事だぞ」言わなければならないほど部下から疎んじられて、都合の悪いことには記憶がないと繰り返す元東大生。記憶力抜群な人は出世すると記憶力が無くなる素晴らしい処世術を身につける。いわゆる保身に入る。蛙の保護色に似てる。
猫が獲物を捕えて主さんの枕元に運んでくるように、彼も老親の喜ぶ顔を見たさにせっせとお土産を持ち帰った姿が見えてくる。土産の半分もスタッフに分け与えていたら、あんなあからさまな恨みつらみは出なかったのに。
英才教育や帝王学では民心を治めることはできない。また長く同じ椅子に座れば慢心、傲慢になる。
アメリカの大統領が任期8年と定めてるのにはそこにある。
「俺は知事だぞ」と言った彼の子供家族はこれから路頭に迷いどこで暮らすのだろう。
7人の敵どころではない世間が全て敵になってる。
「親の背中を見て子は育つ」と言われる。子供らは負けずに踏ん張るしか生きる方策はない。
親を反面教師として世間を恨むことなく立派に育ってほしい。
江戸時代の仇討ち制度は仇討ちが新たな仇討ちを産み終わりのない怨念の世界に入り込んだ。
「俺は知事だぞ」の言葉はあの県庁の中の深い闇に叫んだ。
その闇から百条委員会という怪物が顔を出したのである。
敵味方どちらも未だ吠え続けている。そのつけは民の懐から出る。
「荒地の菊」の蔓延したお庭。近所から苦情がきた。人が隠れるほどの草です。
松の盆栽に同化してるつもりの雨蛙。「そこにいるのは私でありません。松の枝です。」
「記憶にありません。ケロケロ」
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