老人、老犬、老猫、老獣・・・。
表題の続きになるが老草、老魚、老鳥は聞かない。老木はあるかも。
生物学者によると生き物は子孫を残す機能が止まると命の終わりが近くなるという。
鮭が産卵のため川を遡上そして排卵、放精を果たすと緩やかに流れ下り小石を枕にその命を終える。
同じ鮭属の鮎、ヤマメそして岩魚は産卵を繰り返す。緩い流れの大場所のなかを遡上する大岩魚を見たことがある。幾度なく沢に入るが排卵後の鮭のような死骸を見たことはない。
犬、猫は人間の勝手で去勢してしまう。生殖機能が止まってるのに結構長生きしてる。
歩けなくなった犬を抱っこして散歩しているのを良く見かける。いわゆる介護されてる犬だ。
自然界であれば既に息絶えてたであろうが人の介護で長寿である。
人間も閉経後30年も生きている。
冒頭に書いた生物学者さんの学説はどこまでも医療、薬、介護の無い自然界の話であり現在は人間もペットの犬猫も長寿である。
こんなことを書いていたら今朝の新聞のコラムに「生殖細胞の影響」の話があった。
これは魚の寿命の研究だがオスは生殖機能のない方が長生きするとあった。
去勢手術された雄猫の長寿はどこか頷ける。
自然界の生き物の世界では医療や薬などはない。無論去勢手術などあり得ない。
暖房も冷房も無縁の世界だ。
当然寿命は短い。
植物の世界にも長寿なものはある。それも千年を超えるものもある。
屋久島杉は縄文杉と言われるから確かに千年は超えるのかもしれない。
身近かな神社仏閣の周囲に4、5百年を超えるのをよく見かける。
渓流釣りに行くと桂、ブナなど数百年は経った大木の樹林帯に出会える。
神社仏閣の木は神木として斬られなかった。山奥のブナは搬出が難しくて斬られなかった。
道端の大木に出会ったらその周囲を見ると必ず何かが祀られている。その大木は神木なので誰も斧を入れなかったのである。
長寿とはさまざまな幸運が重なった数だけ生きられるのだろう。その幸運のもとは先天的なものと後天的なものがありそうだ。深く考察すれば 易学や占星学につながる。
例えば国道の路肩に毎年生える犬麦や千萱は刈り払いを繰り返す事で延々にその姿を消すことはない。刈られることで外敵が出ない。
植林された杉、檜も山麓に植えられたのと山頂に生きてるのではそれこそ雲泥そのものだ。
尼寺やお稲荷様、山の神里の神、八幡様、大黒様、羽黒山、高野山の周囲にはとんでもない長寿の樹木が健在する。
それこそ風雪に耐え落雷にも会わず鹿や害虫にも寄られず幾100年もご生存してる姿はただ神さまそのものである。
90歳なにがめでたいと書いた作家がいる。
幾100年もご生存の生き物から見れば何がめでたいとなる。
長寿の生き物は幸運がもたらした現実の姿である。日本の国民は世界の中で長寿国である。ということは国民全体が幸運の持ち主でもあるし、こうなるまでの長い道程があった。
こんな話もある。
鳥属は1日の70パーセントを餌探しをして過ごし、猫属は1日の70パーセントを寝ているそうだ。
我が家にも二人のお猫様が同居してますがよく寝ている。
大きな欠伸をして寝て暮らすか日々の糧を探してピーチク、パーチク賑やかに暮らすかはそれぞれの性格によるが高齢者が活躍し続ければそれはめでたい。
世界の人々に健やかな90歳の現役で活躍する姿を発信する日が来るかも知れない。
長寿は果たしてめでたいものなのだろうか。
ニィニィ蝉が泣いている。
80歳を超える方からお仕事を依頼され私の提案がこのようになった事例。依頼する方もそれを施工する方も限りなく江戸時代に近い。改修する前は本格的な冠木門があった。
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