雑草、雑木、雑学、雑文・・・。

若い子と雑草のことを研究していたら最近はやたらと雑草絡みの仕事が多い。

お庭の仕事が主であるには違いないがお客様の要望は雑草が無い生活をしたいというものだ。


近所を歩けばまったく雑草の生えてない家がある。

私のところに手伝いに来ている二人の方のお宅も全く雑草の姿は見えない。


近所の方々が時折覗いていくそうだ。当人方も自慢のお庭なのだ。


お庭仕事を始める前にお客様に「大事にしている草花はどれですか」と尋ねる。

中には明らかに雑草と言われるものも「踏まないで、取らないで下さい。」と言われる。


芝の中のネジリバナ、すみれは理解できる。

そしてドクダミやスギナは乾燥させてお茶にするそうだ。クローバーを芝庭の代わりにする方もいるしススキの好きな方もいる。マニアックな雑草の好きな方のお宅は歩く所もないほど鬱蒼としてる。


夏場は藪蚊の棲家になっているがそれでも気にならない。


人間が勝手に仕立て上げた樹木より自然形の好む方は多くいる。

平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。・・・・・」


平安時代に椿の花そっくりの白い花の沙羅の木、初夏に咲くので別名夏椿とも言われる木を愛でていて詩に読まれていたのだ。


この木は里山周辺に生えてる雑木。そもそも椿は木に春が来るので椿と書かれてる。


夏に咲くなら木に夏「榎」と書くべきだが既に榎は別のがある。

この榎は蝶々の寄る木で蝶マニヤ好みで市場に出回らない。


紗羅、別名夏椿のように雑木は遠い昔から好まれていた。


同じように里山周辺に生えてるエゴノキ、山帽子などは人気があり市場に沢山出回っている。

最近特に人気者はアオダモだ。なかでも里山に生えてる野趣味の自然な姿が人気ある。


このアオダモの木は江戸時代の身の回り家具材として用いられた。近年では野球のバットに使われるほど硬い木である。打てば硬質の音がするので使われている。


野外で仕事していると怪我する機会も多い。経年数の浅い人は特に多いです。


私達が履いてる靴はゴム底であり鋭い梅の棘、ピラカンサ、釘など突き抜ける。

走り回ってる若い子は苦痛に泣いている。


「刺さった穴をなんでもいいから叩け」「出血させなさい」「お茶で洗いなさい」「焼酎を買ってこい」「今晩熱が出たら明日は外科医に行くこと。」


「虫に刺された」「身体中かゆい」「蜂に刺された」「ヒアリに刺された」

「おーい、お茶でなく重曹持って来い」「どこからですか、車の中に常備してあるだろう。」

「擦りつけろ。」「重曹を水に溶かして飲め。」

「社長の話私ども数人で聞くには勿体無い。その話ホームページに載せて多くの人に読んでもらったらいいです。」


最近やたら「ホームページを見ました。記事の書いた方が経営者の方であればぜひ仕事を依頼したい。」と言っていただける。


穴があったら入りたくなります。笑


雑草、雑木、雑学そして雑文、雑と言うからどおでもいいのだが、

それがどっこい大きなビジネスになるネット社会は私のように限りなく江戸時代に近い人間にとって「驚き、桃ノ木、山椒の木」である。


同世代のお客がどうしても多い。仕事を終えて帰る時の挨拶に

「また、来年も呼んで下さい。」「はい存命でしたらお願いします。」


介護の仕事に関わる人が多いのか「植木はどうですか」と尋ねると「はいまだ存命です。」


「社長が死んだら我々全員失業するから死ぬまで長生きしくれー」

と言われるが、果たして何年存命でいられるかな。とんでもない時代に遭遇してしまった。




昼咲月見草 誰かが移植したものだろう。

こんな雑草なら嫌がる人はいなだろう。静かに心をすませば身の回りに感動するシーンがある。

山取り青ダモ、畑で栽培ではこうならない。自然の姿がなんとも言えない。


みやぎ野造園

1977年宮城県仙台市で開業。現在は富谷市明石にて営業。 近年は庭石の撤去工事が多く、その石を破砕して再利用した お洒落なロックガーデンやガーデニングに力を入れています。