流行り物
バブルの頃だから30年も前になるかしら。
よくウッドフェンス、ウッドデッキを作った。
そして今はその工作物を解体その処分の依頼が多くある。腐食、白蟻の侵入のためである。
その後、輸入材の防草シートが出回り二十年前から住宅の敷地をそのシートで覆いその上に砂利を敷く工事が多い。今の新築の住宅はほとんど採用している。防草だから雑草が出ないはずである。
植栽スペースのお庭の面もその防草シートの上に人工芝を貼るのが流行りである。
植物は光と水分があれば発芽する。そして成長するには養分が必要である。空気には窒素があり発芽して種子の養分で成長、空気中からもわずかであるが窒素が取れる。
光が当たらないシートの下にある雑草は確かに防げる。
だが、シートの上に風によってばら撒かれる種子はシートの上の砕石の中の湿気で発芽して数年後には確実にジャングルとなる。そこまで施工業者は考えが及ばない。
今からさかのぼって50年前、食糧増産政策で畑、林野を重機で開田し至る所に田圃が現れた。米価の高い時代である。
大型農機が開発、導入後当然のように米価が下げられ千枚田のような効率の悪い農地は見捨てられた。作業する人々の高齢化も進み耕作地放棄が至る所に見られる。
そんなところにここ10年前あたりからソーラー発電所が雨後のタケノコのようにあちこちに現れた。。計算上は利益が生まれるはずである。さてどうだろうか。
雑草が出ないよう完璧に施工したつもりがジャングルにになりパネルやコードが劣化してくる。果たして莫大な投資に見合った利益は上がるのだろうか。
古代から人類は知恵の限りを尽くしてさまざまなものを発明工夫を試みた。
大自然の前にその試みは如何程残ってるだろううか。
人間の知恵は太古の人と今の人はどれほどの違いが有るのだろう。
例えば、巨石や巨木を動かす知恵、治山、治水の知恵、自然や季節そして天体の動きで生活する知恵は現代の人の方が勝るのだろうか。
もっと身近に例えれば祖父母や、父母の教えは高等教育を受けた若者より劣るだろうか。
現代の社会は古代からの知恵の蓄積から成り立っており、突然現代の社会がハイレベルになった訳ではない。
どう足掻いても大自然に背いて生きてはいけない。その中に混じって共存する事になる。
こんな一文をどこかで読んだ。「戦えば共に滅び交われば共に栄える。」
自然と共存することで人間が作った発明工夫の産物が役目を失った時自然に帰るひと工夫が大事で有る。
4、50年後ソーラー発電所が廃業、放置され自然に帰らない残骸が想像できる。
施工後10年経過したソーラー発電所。防草シートの上に蔓延した夏草。
風で飛んできたセイタカアワタチソウ、メヒシバなど、この場所は津波の押し寄せた農地です。
高価な防草シートが剥き出しになってる。隣地から侵入した葛、風で飛んできたススキ、ヨモギ、紫の花が綺麗なヒメオドリコソウ。
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