植物の生えないところ

植物の世界は梅や桜が開花するとそれを合図のように次々と春の草が競争して芽を出す。

それこそ一斉に出てくる。


私は植物を相手に商売しているので花が咲いて、芽が出て、枝が伸びると、

それが福沢諭吉様に見えたりする。浅ましい限りです。



私たち人間も含めて生き物は植物から命をもらっている。

その植物は生える場所や種類によって食べ物となり、癒されたり、また迷惑であり、邪魔者にもなる。その最たるものは私たちの生活周辺に生える野菜や、果物そして野放図に生える雑草である。


春彼岸の頃まで静かに弱々しく見えた草ぐさは一気に夏日の温度に日増しに増大している。

オオイヌノフグリ、タネツケバナ、オランダミミナグサ、ヒメオドリコソウ、ハコベラ、カラスノエンドウそれこそ早春の雑草の百花繚乱そのものです。


これらの草は背丈が低く見方によっては多くの人々は「春が来たなぁ」と癒されると思う。

春らしい風情が何とも言えない。


しかし、いずれも繁殖力が凄まじい。


世に名高い庭園、関西の古刹の名庭、山陰の足立美術館など、雑草が生えては観光客は行かない。

雑草のない庭園はどのような手段であの世界を作っているだろうか。


今は防草シートや除草剤散布をしているところはあるだろう。

その様な物がない時代を経過して今なお、世界に誇れる名庭は基本的には手作業で行われている。


私の住まいは集合住宅の高層階でルーフバルコニーが30m2ほどある。


子供が小さい頃の夏はテントを張り幾夜も星を眺めて癒された。

この家を巣立った倅は東京でロックシンガーとなり「マンション」という自作の[名曲?]を声の限りに歌ってる。


その名曲の産んだルーフバルコニーは防水シート覆われていて30年間植物が生えない。


高い所から街並みを見渡せばどの屋根にも植物らしいものは生えてない。

水はけのいい乾燥した屋根には植物の生育には不適なのだ。


コンクリートの駐車場、アスファルトの道路も草がない。

これらに共通するのは乾燥して植物の種子が風に吹き飛ばされ、雨に流され発芽作用しない所だ。

広大な砂漠も同様で乾燥した砂が常に風に吹かれ移動して植物が生えることができない。


東京初台に愛娘が住んでる。その近所にオペラシティというビルがある。

その広大な前庭は水面で覆われている。

設計者は雑草の抑制を念頭において作庭したわけでないと思われる。想像だがユニーク、独創的な面が採用されたのであろう。いずれにしても雑草は水面には出ない。出られない。


氷の世界の南極、北極、身近には鬱蒼とした杉林、竹林、いわゆる極寒、極乾燥また光の遮蔽されたところには出ない。住まいの床下も出ない。


植物は光、水分、養分で生育する。その中の一つでもかければ生き続けることはできないのだ。


最近、人工芝が流行りである。芝草に似せた葉毛は砂塵が滞留しやすい。適当な湿気があり雑草が出る。防草シートの僅かな傷口、止めピンの窪み、アスファルト割れ目そんなところにも植物は定着して勢力を広げていくのである。


別な見方では植物の出ないところは生き物の生息に向いていないという事になるし、僅かでも雑草が顔を出すところには生物も生息できるということだ。


穏やかな心で小さな雑草を見れば美しくも見え癒されもする。


雑草と言われる植物と敵対するか、雑草を好みの植物に抑制してもらうか、雑草を好きになるか、このような研究はビジネスにつながる。


ぜひ若い方が挑戦して欲しい。



3年前に防草シート敷いた。今は新築されたが以前は荒れ放題の隣地からこぼれた雑草。

シートの下からは出ないが種子がばら撒かれた上から出る。

写真は春草、夏草、秋草と延々と生える。防草シートは万能ではない。

スギナとハマヒルガオの蔓延していたところをタイムを蔓延させて嫌いな雑草を退場してもらった花壇

ソーラーパネルの下は草が出ない

みやぎ野造園

1977年宮城県仙台市で開業。現在は富谷市明石にて営業。 近年は庭石の撤去工事が多く、その石を破砕して再利用した お洒落なロックガーデンやガーデニングに力を入れています。