十年間続ける意味
「石の上にも三年」はよく聞く言葉である。
この言葉を検索してみると石の上に3年も座ってればその石も温まるとあった。
確かにそうだ。
夏以外のシーズンならそうとも言える。
灼熱の夏日はどうだろう。
まあ、だいたい暑くて火傷するからやめようとなる。極寒の冬も冷たくて凍傷になる。
かくして勤めや修行、奉公がならない。
新入生の5月病がまさにそうである。
辞めようか、留まるかの思案の月である。思案の挙げ句留まりその繰り返しが続き3年も経ってしまう。その貴重の3年が自信になりもっと極めてみようかとなる。
やがて惰性や迷いに流されながらもその職業の中堅になり5、6年もすると達人の世界が見えて来る。
先生は、社長は、親方は今は何をしているかが見えて来る。
10年間そこにとどまれるのは世間から必要とされ認知されている証でもありその道で食えるようになる。何事も10年続けるのは至難の業である。
3、11の震災からそろそろ13年になる。
住宅業界はリーマンショック時のような厳冬期に入ってる感じだ。
そんな中で生き残るにはそれなりの研究、努力がいる。10年同じことをしていれば飽きもくるし倦怠期もある。当然のことだが新手の競争相手が現れうかうかしては退場してその席をより優秀な方に譲る羽目になる。
後続の石の上にも三年を過ごした方がとんでもない競争相手になる。
10年、20年と生き続けるには新人の時の大きな理想と長年積み上げてきた経験を活かして後続の新手の挑戦者を越える努力がいる。
果たして20年、30年と生きながらえても心臓脈拍、20億回のリミットは必ずくる。
名人伯楽も神の思し召には逆らえない。
一人でもいいから自分の生きてきた証に私の知識、技術、もろもろを残したくなる年になった。
畑にある時代かかった松や梅などの植木、庭石も退場の時期がきた。
後世に負の残骸を残さないようにしている。
「夏草や兵どもが夢の跡」神の思し召しはまだご遠慮願おう。
ガビオンとロックガーデン。
ホームページを見て依頼された工事。若い方に色々教えられ来夏には馴染んだ姿が見られる。
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