始めと終わり
「始めちょろちょろ中ぱっぱ赤児泣くとも蓋取るな。」
炊飯器のない時代の飯炊き技を言い伝えた言葉である。火を落とすタイミングは焦げ臭いと感じた時だ。その後15分ほど間を置くと焦げ飯もよくほぐれてふっくらした具合になる。
今の炊飯器はそこまで計算されて炊き上がる。
昔の話になるがどこの家でも女性陣の嫁や老婦が誰よりも早く起き出して竈門に火を起しお湯を沸かし、飯を炊き、味噌汁を作る。やがてもうもうと煙立つ台所や居間に男達や子供が起き出してくる。
一日の始まりである。まさしく始めちょろちょろ中ぱっぱだ。
正月の元旦、石川県、能登地方に大地震があった。
全てを失った人々が5、60年以前の生活を余儀なくされている。
電気、灯油、ガスのない時代の生活そのものだ。大地震のたびに全てを失い原始時代のような日々を生き抜かねばならない。
朝起きればまず飯になる。鍋釜を見つけて飯の支度にかからなければ1日は始まらない。水とお米と味噌。薪はその辺に大量に散らかってる。腹が減っては何ごとにも手が付かない。
電気や水道が出るまで知恵を出して食っていく。
やがて道路事情が改善されガソリンが手に入り生活物資が出回り原始生活から解放され周りを片付けて先々のことを考える時間がくる。全てを失った人々の始まりだ。
今年は異常にあたたかい。大寒の今日は10度もある。
日中は暖房なしで過ごせる。明日は大雨の予報だ。不思議な陽気である。
道端には青い小さなオオイヌノフグリが咲き乱れてる。
近年は除雪する機会が少なくて大助かりだがこの温暖な冬は何を意味するのだろうか。
遠い昔の幼い頃の記憶だが母が畑を耕してる傍らでままごと遊びに夢中になってると、
「ほーれこれで遊べや」とさまざまな貝殻を放り投げてくる。
「お皿にしたら?」と。
幼い頃は何の貝か知らなかったが今思えばツルツルの蛤、縦線いっぱいの赤貝、ザラザラのアサリだ。現在の海岸線から4、50キロメーターも内陸部の小高い丘陵地の畑である。そこは縄文時代の貝塚である。
例えば海岸線が50キロ内陸部にあったとしたら、今の東京都内の区部はあらかた海だったりして。
江戸城、今の皇居の石垣は、伊豆半島から切り出してお堀に横付けして荷揚げ引き摺り揚げて組みあげたと言われる。お堀は海水面と同じくしてあの巨石が運ばれてきた。
江戸湾は当時の江戸市民の最終ごみ処分場としてきた。近年の経済発展期にも夢の島と言われ最終ごみの処分場であった。その後お台場と言われるような丘ができ人が住んでる。海抜ゼロメーターに等しいところに都市がある。
東日本大震災は三陸リアシス海岸の向かいで起きた。
そこは至る所に細長く奥深い海岸である。5mほどの津波は細長い奥では20mにも駆けあがった。
北海道千島沖、千葉県伊豆沖、紀伊半島、四国沖に近い将来巨大地震が起きると言われてる。
東京湾は三陸のどこの湾より奥が深い。ましては0mエリアに夥しい人が住んでる。
東日本大震災の4、5年前に30年以内に大地震がくると言われていた。
今、千葉、伊豆沖で同じく30年以内に地震が起きると言われてる。
果たして東京はどうなるのだろう。
ある時土中の蟻塚を破壊してしまった。
無数のあり達は出入り口を確保して彼らの卵を運び出しその翌日にはアリ塚を回復して通常の生活に戻っていた。
現在では阪神淡路、東日本の人々は通常の生活をしている。神が与えた罰や試練ではない。
地球上に生きる命の元の地球が生きてる証である。
終わりから始まりがある。神は自らを助けるものを助けるとどこかで聞いたことがある。
その神は生きてる貴方でありそして私である。
大寒の雨が降ってきた。
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