笑えない話

自動車教習所で高齢者講習を受けた。


そこで見た逆走の映像を見て皆んな笑ってる。ブレーキとアクセルの踏み違いの映像もあった。


最近、中央分離帯のある一般道で右折した。それもなにげに分離帯の手前で右折した。

遠くから対抗して来る車に気がついた。辛うじてUターンして難を逃れた。


作業場兼ねた植木圃場の中であったがバックしていたら路肩に寄り過ぎたので思わずブレーキを踏んだつもりがアクセルだった。

そこは田んぼなので大事にいたらなかったが街中だったらと思うとゾッとした。



これを書いてる今、石川県の能登地方で大地震が起きた。

津波の被害は少ないようだが電気がなくて暖房器具が使えない。断水もしてるという。



13年前のあの夜は厚着をしてひたすら日の出るのを待つしかなっかた。余震が頻繁にくる。その度に親子四人固まって寝たものだ。

朝起きればまず食い物だ。我が家は高層マンションのルーフバルコニーがある。バーベキュー用具を出して火をつけ味噌汁を作った。水は風呂の残り水である。もちろん煙が上がる。


早速火事でないかと大騒ぎになったが、自前で食事を作ってること知ってもらった。

マンションの屋上階から毎日煙が上がるのは認知された。

なにしろ薪には事欠かない商売ですから。


落ちついてから作業場の物置から芯を上げて火をつけるタイプの石油ストーブが出てきた。

ファンヒーター用の灯油はあったのだから焚き火で煮炊きしないで済んだのに。


その震災の直後は畑の近くの沢から水を汲んできた。

飲用は沸騰したものを使った。その畑の近くに家庭菜園として貸してる畑があった。

そこに人だかりがある。そうだそこにはガチャガチャポンプの井戸があったのを忘れていた。

もちろん飲用できる井戸水である。


毎日高校卒場したての娘と中一の倅と水汲みして階段を一人一個のタンクを持ち帰った。

その貴重な水は「洗面や、食器洗い、拭き掃除で使用した後に、各々の排便の折の流しに使うこと。」と言う外国人のワイフの指図は徹底していた。


国を跨いで嫁に来るだけに、彼女のサバイバルパワーに脱帽した。


震災前は伐採した丸太の処分が大変だった。

焼却場は受け入れてくれない。最終処分場は重いから経費が嵩む。それで薪を貰ってくれる家まで運んでいた。それも各々遠いお宅である。


震災後、街中の一般住宅に薪ストーブが大流行りである。「薪あります。無料です」と看板を立てればすぐなくなる。災害時は便利なものほど不便になり不便なものほど役に立つ。


震災後津波の被災地で仕事をした。依頼されたお宅は2階で難を逃れた。

その夜の漆黒の闇の中「助けてー助けてー」の声があちこちから聞こえたという。


朝方その声も消えた空にヘリコプターの音が聞こえたが、誰もその声の主に手を差し伸べてあげられなかったという。その家の一階の天井まで水かさの後があった。



自助努力はした。そして多くの援助もいただいた。ありがとうを返す時が来た。









みやぎ野造園

1977年宮城県仙台市で開業。現在は富谷市明石にて営業。 近年は庭石の撤去工事が多く、その石を破砕して再利用した お洒落なロックガーデンやガーデニングに力を入れています。