雑草の世界
里山は山百合がいたるところで咲いている。
ニイニイ蝉の鳴き声が心に沁みとおる。
稲田は水を抜いて乾かし地割れさせ稲の根を切り生育を止める時期である。
草丈を低くすることで収穫時前の転倒を防ぐ方策である。
同じくお庭の菊も開花期に転倒しないよう半分ぐらい切り戻す時期だ。
お庭の中の春草は姿を消して夏草が繁茂してる。
夏草の厄介ものはメヒシバと露草が主役である。
引き抜いて放置するとそれがまた発芽してくる厄介ものだ。夥しい種子がばら撒かれるので花が咲く前に抜けば次世代の発芽は少なくなる。
現代の様な農業機械のない時代は、お米を食べるまで八十八回手がかかることから米という漢字を表したと言われる。
今は機械のおかげで5分の1ほどだろうか。さしずめ十一回とすれば土という漢字になったりして。
当地宮城県の米どころは、明治の頃は谷池と言われる沼地が多かったです。
今でも地名に上谷池、下谷池の様な谷池という地名が多くあり、その一帯は沼地であり、その沼地を干拓して現在は広大な農地に変貌、その地に米山というような米の字がついた地名がつけられた。
それはその昔谷池、沼地であった証である。
何百万ヘクタールあるのか地の果てまで続く広大な稲田に稲以外の植物は見あたらない。機械化農業以前は牛馬の力を借りて掘り起こし彼らの糞尿をばら撒いて地力を高めた時代は遠く過去のものとなった。
牛馬がいなくなり彼らの糞尿は利用しなくなったが、過去のその方法は有機農業と持て囃され、美味しいお米だ。と評価は高かったものである。
その美味しい有機農法は牛馬の力を借りた時代の産物であった。
田んぼの畦の草を刈りそれを集めて彼らの餌にしてその糞は春先にその堆肥として使用する。雑草の種子を含んだ堆肥は当然雑草の種子をばら撒いてることになる。八十八回も手がかかるわけだ。
農業機械は草を食べないので堆肥もできないし、利用することもない。雑草の種子のない化学肥料をばら撒くことで収量が高くなるし草取りの手間もいらない。
広大な農地に稲以外の植物はない世界が出現するのである。
雑草の種子をばら撒かない、落とさないことが雑草のない世界になるコツである。
そろそろヒグラシの鳴く頃だ。
昨年の種子が落ちて蔓延したメヒシバの芝庭
メヒシバを根際削ぎ刈った芝庭。
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