自然の摂理
「焼肉パーテイで食い過ぎました。胸焼けがするんですよ。」我が社のヘルパーさんオン年65歳。黒毛和牛が一番だって。可哀想な牛さん。
私は子供の頃、牛さんの放牧をしていた。夕方放牧していた牛さんを「ホーイ、ほーい」と呼ぶと迎えに来たとみんな寄ってきた。「帰るぞーほーい」「うもー、ウモー」私に尻叩かれ嬉しそうに牛舎に向かって駆け出す牛の群れ。
そんな牛も時々大人たちの生きる糧のため一頭一頭去るのである。牛は私の顔をみて大きな眼から大粒な涙を流している。少年時代の小さな胸に込み上げる哀しい思い出だ。
家畜と言われる豚や牛、馬は沢山産ませることにより飼い主は利益が出るから去勢されない。
大きく育てて美味しくいただく人がいれば食いすぎて胸焼けを起こす人もいる。
豚や牛、そして鳥は人の食べ物としてしっかりその概念ができている。食べられて可哀想と思うのは子供の儚い思いなのだろうか。
一方で犬、猫はどうだろう。去勢されることで生きのびれるが子孫を残そうとする本性は尊厳されない。
国の施策によって障害者が過去に去勢手術されたことが問題になった。障害者の人間性の尊厳を著しく否定している。去勢されることにより父母になる喜びや家族愛を感受する楽しみをとりあげたことを批判されている。
犬猫は食肉とする概念はない。弱肉強食の自然界には実在するが人間の愛玩具言い換えればペットになっている今は外敵に襲われることはない。去勢しなければたちまち犬、猫屋敷になってしまう。
鰯やイカは鰹、マグロに追われ大きくなった彼らも人間に捕えられる。食物連鎖の世界は残酷物語だ。
その頂点に立つ人間がまた弱い人間を襲いミサイルや砲弾を雨あられと打ち込んでる現実があり被弾して破壊された建物の傍らで泣いてる人々がいる。売られて行く牛の眼の大粒の涙は誰も見向きはしない。
その戦場に武器を売ってる武器商人の関係者は分厚いステーキを口にし戦場を高みの見物してる。人間の中の弱肉強食の図である。
自然の摂理は残酷世界そのものなのだ。
過密な植生、近い将来死滅、立ち枯れになる。
元野良ちゃんが母になる。我が子に毛繕いしてもらう至福のひと時。
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