和風は風前の灯火
ここ2、3日暖かいので和風物主に松、梅、伽羅の木の剪定をしている。
手先を動かすことは精神衛生上とてもいい。
何より晩酌の一杯が美味しい。
近年和風物の植木はトントお呼びがかからない。
と言っても曲がりなりにも植木屋さん。
和風ものは置いてませんとはいかない。
近い将来、抜根処分となるとはわかっているが私の手が動く間は整枝、剪定は続けて行きたい。
こたつのないお宅は珍しくなくなった。障子、襖、畳そして和装類、着物、下駄、雪駄、足袋。和風のものはみな消えつつある。男の下着の褌などは遠い昔に消えてる。
庶民の生活は日進月歩で変化、進化している。
こうして書いてる日記も筆や鉛筆でなく辞書無しでキーボードを打ち込めば難なく書けてしまう。
不要として消えていくものには共通性がある。手がかかる、金がかかる、面倒くさい、自分で手入れができない。それに加えて利便性がない。
一方で金がかかる、手入れもかかるけどそれらが無いと快適な生活が維持できないのが車でありエアコンだ。
不要とされるものは人の内なる自己満足の世界のものであり日々の生活の利便性はひとかけらもない。必要とされるものは大枚をはたいてもそれ以上の利益があり世間に溢れている。
廃れゆく和風の中で美味しい和食は消えさるどころかますます盛況である。スーパーで刺身、寿司コーナー売場には山盛り展示してある。
和食以外でで和風が頑張っている分野はあるだろうか。消え去る和風は時代の遺物で不要とされ、必要とされるものだけが残っていくのだ。
おびただしいカタカナ文字の草花の名前は中々頭に入らない。和風の脳味噌を現代風に切り替えるには時間がかかり切り替わる頃には認知症になっていたりして。
創作松 名付けて 七転八起松
7度芯を止めて40年掛けて完成した自作の逸品です。
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