オーガニックってなんだろう。

まだ6月なのに夏日が続く。屋外作業は辛い。作業でひと汗かけば体のだるいのが消えてスッキリする。

梅雨時の今は夏草の世界でどこに行っても草やぶになってる。そんな中雑草の見えない世界がある。広大な農地、稲田である。一面稲だけの世界である。

一面稲田の中にところどころ地面剥き出しで掘り起こされたばかりの一角がある。大豆の種が撒かれて一列にその苗が発芽している。不思議とその畑は雑草が生えない。稲田同様その工夫がなされている。

お庭や家庭菜園、道端は雑草で鬱蒼としているのに何故か広大な農場は草一本も生えていない。その産物は毎日常食しているご飯であり醤油、味噌、豆腐、納豆の原材料である。

誰かその食べ物に自然食品かどうかをこだわって生活しているだろうか。

自然農法と言われる動画をよく見ている。おおよそ生産性が悪く自家消費になる程度のものであり自己満足の域を出ない。

現在のような肥料や、農薬が出回る以前の時代はどうしたのであろうか。

例えば江戸時代はあの100万人をこえる江戸の市民に供給された食糧はどうしていたんだろう。

当然作物は肥料なしでは収量が少ない。その肥料の主なものは市民や牛馬の糞尿である。そして糞尿の足りない分は当時大量に採れた鰯を干した干鰯を使った。いわゆる魚粉であ

その糞尿も大名家や、大奥のものは特別扱いで高値で引き取られたとある。食い物がいい分うんこも肥料効果が抜群とされた。

その牛や馬の糞尿も人糞も植物の種が消化されないで排泄され、肥溜めに入れて発酵させても腐食せず作物の畑にばら撒けばその種が発芽する。雑草が出ては作物が育たないので人力で地面に這いつくばって草取りを余儀なくされる。

今の時代畑や田んぼで草取りをする人などいないしその必要もない。何故なら雑草の種が入っていない肥料を使用し、なを作物以外の植物が生えないように薬やマルチ資材で雑草を出ないよう工夫している。その工夫や薬は生き物の生態系に影響が無い自然農法そのものである。

どこか自然農法は雑草や虫、微生物と共存して健康に良いと解釈してるようだが植物の生態を研究し生産性を高める工夫は自然農法から遠く離れた農業ではない。

刈り取った雑草を作物の周りに敷くことと黒いマルチシートを敷くことは雑草の繁茂を抑制する効果は同じである。光を遮蔽するということで雑草が出ないので同じ考えなのだ。

雑草とりを好きな人がいる反面庭に出るのが嫌いという人もいる。雑草という植物はないという人、植物は一切不要という人それぞれ思いは違うけどどう足掻いても人は自然に太刀打ちできない。

コンクリートやシートを敷いても放っておけばたちまち全て植物に覆い尽くされる。オーガニックなど放っておけばその世界がたちまち現れる。

街中の廃屋は虫も動物も鳥も寄ってくる。木造家屋が崩れ落ちてるのはシロアリが寄ってたかって食い尽くした姿であり正真正銘のオーガニックワールドだ。

雑草が出ない出さない方法がある。次世代の種を落ちる前にとることである。春夏秋冬それぞれ季節に合わせた草が出る。その草の花の咲く前にとること。それが難しい。だから除草剤がある。稲科の芝庭に使う除草剤がある。雑草のない稲田と同じ世界ができる。

除草剤が嫌いだと言って各地の銘柄米を毎日食べている。味噌や豆腐は健康食と言って味噌汁を毎日作る。稲、豆だけしか見えない農場の風景に背後にある生産者の工夫と研究が見えると思う。

鬱蒼としたお庭で蚊の襲来の中で自然を満喫する人。雑草の無い蚊もいない芝庭で優雅に昼寝する人。放任と努力の違いだがどちらもオーガニックワールドだ。


防草シートの上に砕石を敷いてある。施工から数年でオーガニックワールドになっている。日の当たらないパネルの下は草が少ない。施工後放置した姿です。昨年から除草剤の定期的散布を繰り返している。


みやぎ野造園

1977年宮城県仙台市で開業。現在は富谷市明石にて営業。 近年は庭石の撤去工事が多く、その石を破砕して再利用した お洒落なロックガーデンやガーデニングに力を入れています。