秋の夕陽はつるべ落とし
通りすがりの古書店によく寄り道をする。
まぁBOOK-OFFなのだが、読みたい本がベット脇のテーブルに山積みになってる。
ベットで横になって読書するが足も温まれば自ずと眠気も出て、2〜3ページで夢の世界へ誘われる。
倅のワンマンライブに新幹線に乗った。心が弾む。
「東京だよおっかさん。」こんな歌があった。
世界の中心からほど遠い山里暮らしの人は東京は異次元の世界。まぁ外国に行くような心持ちだ。
新幹線は子供ならずも心昂りウキウキしてくる。乗車後ビールを傍に読みかけの本を開く。
本来涙腺が脆いこともあるし、ビールのほろ酔いも手伝って鼻水を啜り
度々眼がしらを拭うのを見て隣の若い同行者が「だいじょうぶですか?」と声をかけてきた。
「いゃー、この本は全編涙なしでは読めない。」
「新刊売り場でたまさか手に取ってみて、買ってきたのだがいいのにあたった。」
「ぜひ回してください。」
中身は親と縁のない人々の話である。
全編ハッピーエンドで終わるだけに流した涙で心が洗われる思いだ。
同じ涙でも苦渋、苦汁、苦痛、苦難で流す涙の紛争地の人々。
中でも二親を見失った子供らの涙を救う手立てはない。
秋の夕陽はつるべ落としと言われる程、あっという間である。
この夕陽は何故かもの悲しい。
秋のこの夕陽をかの紛争地の子らも見てるだろう。
生きる術の知らない彼らの哀しさは計り知れない。
一人の狂人を無条件に支持したツケが途方も無い命と心を失った。
狂信的な支持者たちがどんなに教養が高くてもどれほど歴史を勉強しても何の役にも立たない。
なぜなら彼らには保身を学んでも強権者に[no]と言う勇気を身につけることが出来ないのである。
近年は本離れがよく耳にする。
それに伴い書店の閉鎖がよく見掛けられ残念なことだ。
知らないこと、悩み、関心ごとなど本屋を覗くとそれに関した著書が見つかる。
本好きにはそんな書店歩きは人跡未踏の山中で宝物を探す楽しみにしている。
未読の本がテーブルの脇に山積みになってる。
仕事の依頼も山ほどあり1日の体力の限りの中で必要最小限のことはこなして、
夕方の早い時間にバッタンキュである。残念ながら秋の夜長は読書で、、、とはいかない。
明日は11月5日、アメリカの大統領の選挙日だ。
戦争を止める勇気ある人が現れる。きっと現れる。ハッピーエンドは多くの人に支持される。
早咲きの山茶花が咲いている。
「相沢泉見著」公事宿満足庵
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