燕が来た。
桜が満開の最中一日中雨が降った。
ゲロゲロ、ケロケロ。
田んぼの水たまりでカエルがそちこちで鳴いている。
畑の物置きに居着いてる野良猫の格好の遊び相手になってる。
昼寝してるとその傍にカエル、ネズミ、蛇。「持ってくるなよ」若い職人たちが閉口してる。
「燕が飛んでるよ」と誰かが言った。
桜が咲くと色々な生き物顔を出す。
土中からは蛙をはじめ蛇、ミミズ、落ち葉の陰から蜂。
鬱蒼とした樹木を伐採した。その横倒しになった枝に鳥の卵。動物たちのお産。
桜の開花は自然世界の幕開けそのものだ。
幕の揚がったその先は食うか食われるかの世界であり、生き残りを賭けた熾烈な競争、戦いが待っている。太古の時代から面々と続くその生存競争は一見、残酷に見えるが自然界の中は不思議と共に生存していく連綿としたルールがある。
毎年11月頃に霜が降りる。自然界の大凡の植物の葉が落ちる、また枯れる。
それらは次世代の種子を残して、あるいは土中に隠れてまたは凍らないところまで水分を落とし越冬する。また霜の降りる前に発芽して、不凍液を体内に持ち凍土の中で越冬する植物たち。
それらに共通しているのは、厳冬期の生き残りの遺伝子を太古の時代から延々と伝え残しそれを進化し続けている。
立春、雨水、啓蟄、春分の日。越冬した草はたちまち開花する。
オオイヌノフグリ、種付けばな、スズメの帷子、仏の座、ヒメオドリコソウいずれも背丈が低い。
彼らより背丈の高い夏草の出る前に彼らの生涯を謳歌してるように見える。
厳冬期の墨絵の世界の田園の中に白鳥の群れがあちこちに見られた。立春、雨水の頃姿を消す。
ふるさとのシベリヤへの北帰行は彼らが独自に持つ体内時計が働いてるのだろう。
桜の開花は立春の頃から最高気温を足算して600度を超えると開花するという。
これは桜独自の体内温度計だ。植物や動物が持つ独自の体内センサーの存在は、桜と同様に彼岸花が秋彼岸の9月20日に合わせて咲くのは良く知られてる。
おおよその生き物は体内センサーを持って生き残りをかけてるのだ。
白鳥はシベリヤが故郷である。彼の地で産卵子育てして厳冬期には彼らは温暖な日本へ来る。また燕は日本で産卵、子育てして冬季は南国で過ごす。
彼らのその長旅は彼らが持つ独自の体内センサーによる。
あらゆる生き物が持つ神がかりな能力は神様が与えた贈り物だ。
私の家族のラインのやり取りにワイフのメールに
「パパは神さまが私にくれた贈り物だよ」とあった。
胸にグッときた。目尻から熱いものが落ちた。
神様はいろんなところで活躍している。
私は贈り物だったのだ。味なことをする神さまもいるものだ。
上の方のボヤッとした黄色はハコベラ。既にその下のオオイヌノフグリは絶え絶えになっている。
手前の小さな紫の花はカラスノエンドウ、その手前の細長い葉っぱは犬麦、夏草。
その中に異様に広い葉の赤茶は虎杖、最大で2mになる。ここの生態系の中の王者だ。
でもこの虎杖が支配する前にそれぞれの命が謳歌している。別な視点ではこの支配者が下々の生活を守ってるのかもしれない。どこか江戸時代の幕政ににていたりして。
オオイヌノフグリ。2月頃から咲き始め、3月いっぱい咲いている。この後ハコベラ、ヒメオドリコソウ、カラスノエンドウなどに覆い被されて霜の降りるまで出番をじっと待ってる。
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