春がきた。
大寒の頃は日中温度が10℃の日が続き県内のスキー場は軒並み閉鎖した。
その後、雨水あたりから春分の日まで雪降りの日が続いた。
大雪ではなかったがスキー場はまた営業再開した。
冬らしい冬ではなかったがどうやら間も無く当地の桜も開花するようだ。
春らしい陽気を実感してきた。
私たちの仕事は植木を植え、その剪定が主なのだが近年依頼のが多いのが伐採、お庭の解体、既存のものの撤去、空き地の除草、空家の維持管理などの仕事が入ってくる。
どこの地方も皆、高齢者の割合が多くなり空き地や耕作地放棄が目立つ。そんな場所にソーラーパネルが出現する時代である。その場所は施工業者は知恵を搾って雑草対策を万全にしてあるはずだが数年後そこは雑草の蔓延る原野になる。
発電の敷地内は確かに万全な雑草対策をしてあるが、隣地の原野は手付かずのままであり当然隣地の雑草が侵入してくるのは想定外である。
雑草対策を完璧にしたつもりの施工業者はあまりにも植物の生態を知らなすぎる。
あらゆる草は風が種子を運び撒き散らす。蔓植物は隣地から入り込む。
確かに防草シートの下からはでない。
シートの上に撒き散らかれた種子は発芽して施工後数年でソーラー発電所は原野になる。そんなソーラー発電所から雑草対策の依頼が入ってきた。
敷地面積は広いところは10,000m2の面積のところもある。それは1ha, 1町歩の面積だ。その広さはどのような表現で理解出来るだろう。目の回る広さだ。そんな広い面積の敷地が複数件混じっていた。
奥羽山脈の麓のソーラー発電所を現場調査に行った。耕作地放棄されている一角にその場所があった。その前は雪解け水がサラサラと流れている。その深みを静かに覗いて見ると魚がいた。ヤマメの沢だ。傍らには蕗のとうがあちこちに咲いている。夢中で蕗のとうを取っていたら耳の奥でこんな歌が歌ってる。「春がきた春がきたーどこに来た 山にきた里にきた野にもきたー。」
サラサラと流れる小川の音に「春の小川はサラサラ行くよー岸のスミレやれんげの花に姿やさしく色美しく咲けよ咲けよ囁きながら。」
涙腺の脆い私はついうるうるとして遠い幼い頃の風景が流れた。
帰り道廃屋の畑に菜の花が咲き乱れていた。「菜の花畑に入り日薄れ 見渡す山の端 霞ふかし・・・」よく忘れないものだ「朧月夜」。
そして若い頃歌った「隅田川」「北国の春」帰り道頬を濡らしながら歌ってきた。
まあ、テレビのないそして限りなく江戸時代に近い世代の人々は道端の小さな花や音、風景の中に父母の顔や故郷が見えてくる。
蕗のとうの天ぷらで友人と一杯やった。その友人曰く「春が来た」だって。
里山の春 オオイヌノフグリ 発電所の隣地の牧草地に咲き乱れていた。
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