褒める、褒められる。
私たち人間は不思議と誉められると嬉しい。
嬉しいからまた褒められるように心がける。子育ての極意はこんなところに潜んでる。
小さな子供達は親の生活を真似していく。本を読んでると傍で同じように本を見ていたりスポーツの好きな親の子供たちはそれを真似てやってる。
親が誇りにしている職業はその子供達が受け継ぐようになる。
お母さんの後を必死に追いかけていくカルガモの子供達。
親の狩りを真似て独り立ちしていく動物達。
子供達には一番身近な両親の姿が独り立ちしていく為の見本なのだ。
その典型的な見本に政治家や医者がいる。良し悪しは差し置いて親が誇りにし、尊敬される職業であることは身近にいる子供達にもわかる。当然のようにその子らも親の職業を目指すのだろう。
大人だって褒められたり尊敬されるのは正直嬉しい。
嬉しいからもっと頑張る生き方になるのは皆同じだ。
褒める、褒められるの対して叱る、叱られるがある。
悪戯をして、よその子をいじめて叱られる。何度も間違い、他人に迷惑かけて叱られる。
叱られれば幼児は泣いて、少年は落ち込んでしまうがどちらも些細なことで立ち直る。泣き顔で笑ってしまう。子供の素直な心はいろんなことを身につけ民度の高い社会になる。
政府の要人がゾロゾロと裏金作りした。その所得を隠し所得税は払わず満足な釈明もしないまま更迭された。官位を極めた人々が国民に怒られた。どんな顔をしてまた現れるであろうか。
小選挙区で落選、退場を宣告されたのに比例制度で救済、復活当選する制度は政治家が政治制度を作ってもザル法になる。
退場というカードは選挙民のお叱りなのである。
若者は社会制度や、慣行を知らないしそれぞれの職業のノウハウも未熟であるが体力がある。
少々間違っても大方の人々は大目に見てくれる。叱られてそしてごめんで済む。
老人は体力のない分、知恵と口先のみとなる。
市井の私などは多少の悪さしてもさしたる話題にもならない。
官位を極めた方々の悪行は大きな影響力を持つだけに看過できない。
老醜を再び見ないように大きな声で叱ろう。
12、3年ほど前、倅と秋葉原のドンキホーテの6階でゲームのソフトを買ってレジに行った。
外国の方が7、8人レジに並んでいた。
そのレジには人がいなくカウンターに 「ご会計は1階のレジでお願いします。」と書き置きが置いてあった。
外国人はレジのサインボードの意味がわからないから並んでる。日本人はそれを見てたち去る。私がそのサインボードの通知を声を出して言った。
「please get down to ground floor, casher is there,」 ゾロゾロとエレベーターに向かった。「thank you」「it ok 、have a niceday in japan.」
エレベーターの中でのやりとりを見ていた小学6年の倅はたまらず「パパすごい」だって。
万引きの心配もしないドンキの経営方針も偉い。お客様を信じる日本の美しさの表れである。
民度の高さは日本の美学である。
ガビオンとロックガーデン
近所の方が綺麗ですねと褒めていく。褒められれば嬉しい。ますます雑草取りに精を出す。
施工前は雑草のオンパレードのお庭でした。
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