さまざまな過疎社会
生まれ育った生地に行くと空き家が目立つ。
空き家が目のつくのは何も田舎だけの話では無い。街中の住宅街も同様に庭木の生え放題で明らかに無人である家が目立つ。
車社会の現代は歩く人の姿はほとんど見かけない。
ある本で100年後の東北の姿を書いた記事を読むと東北の県庁所在地と原発のあるところ以外は人々は姿を消すそうだ。
住宅団地の中のスーパーや商店街が消え、車の免許を返上した高齢者は買い物過疎の中で暮らしている。そんな不便な生活は御免蒙ると返上しない90歳代の方もよく見かける。
昨今の紛争地、ガザ地域の避難民が長蛇の車列の脇をロバが引く荷馬車に乗って避難している複数の家族があった。車社会の今に馬車が歩いている。
私たちの生まれ育った時代を少し年代を遡れば戦争の最中に育った今の高齢者は牛馬や鶏が庭先や道端でウロチョロしていた。
時代は下ってピーピーと鳴るポケットベル。そこら中に公衆電話があり、これは便利と思うまもなく、ガラケーと呼ばれる携帯電話。
植木屋は高齢者の方から仕事の依頼が多い。
長い、重い、嵩張る。
またこんなものがよくある。
高枝切り鋏、鋸、電動鋸、電動草刈機、インパクト、健康用器具類。
明らかに通販での買い物である。
宅配社会が完璧にできてる現在、どこにいても物を手にすることができる。
パソコンやスマホに無縁な高齢者が倅や娘に買ってもらったそれらで有り余る時間の中でエロサイトを覗きやがて高額の請求書が来た。
新聞のチラシ広告は少なくなった。新聞やテレビを見てるのはだいたい高齢者である。
ホームページを開いてからはこちらの方からの依頼が多いが高齢者がホームページを見て仕事を依頼してきたことはまだない。
若い人からの依頼であったが丁寧にへり下って年間、多くの仕事を紹介するからと言って最後に契約、登録して年間50万円を振り込めときた。新手の振り込め詐欺師の登場である。
ホームページを見て経営者が高齢者であることを知ってのネット上のビジネスを展開している若者である。
高齢化社会はさまざまな過疎社会を作っている。
それをビジネスチャンスとして暗躍してる輩がいる。情報過疎はこころ穏やかに暮らしていきたい高齢者にとっては怖い社会になっている。
寒いのに数匹のコウロギが鳴いている。
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