遊ぶ。暇つぶし、kill time。
子供は遊びの天才である。
いつでも活発に動き回っている。
暇つぶしをしてる風ではない。何をしたらいいのか分からないのではなく、目にするもの触るもの周囲にあるものが全て遊びになる。
そして疲れ果ててよく寝る。
大人が定年後、毎日が日曜日になり何をしたらいいか分からない輩が多くいる。
毎日テレビの前で長時間座ることで尻肉が薄くなる。筋力が落ちる。ワイフの買い物、散歩のお供もそんなに時間はかからない。
有り余る時間は昼寝になり、晩酌の時間は早くなり、就寝の時間はそれに伴い早くなり、当然早起きすぎて日も登らない暗闇の中の早朝、不審者のように散歩をする。
やがて昼夜逆転の世界に入っていく。
どこの親も我が子には安定した生活、堅い職業に就かせて定年の後まで安定した生活を送られるよう相応の教育を受けさせる。
その子供たちも努力して社会的に高いポジションで活躍していく。そのように子供達を教育した親たちは無論社会保障制度に守られて日々の生活に困らない賢明な生き方をしている。
仕事柄よく目にする個々の生活事情は疑念を感じる。
子供たちを立派に育て上げ親元から巣立ち、親を顧みなくてもよい社会制度は幸せなのだろうか。
持て余す家の空間、いわば無用な子供部屋を抱えた立派な家構えは老人の生活には邪魔な空間でしかない。
聡明な親たちは社会保障制度に守られる堅い職業に就き勝ち組となる。
やがてその子も努力し賢明な生き方の末、勝組の仲間入りとなる。そして子や孫にまとわれつかれハッピーなリタイヤ生活を描いて来たはずである。
安定した社会保障制度は昔の姥捨山の心理と似ている。
親は子供に深い愛情を持って育て上げた。子どもらはそれを当然の権利として受け取り巣立っていく。
親の自立がなくては子供の自立は叶うまい。
後顧の憂を無くして大きな世界へ羽ばたく飛躍へのステップ台なのだから。
親の脛を食い尽くして世界に羽ばたけと太っ腹な親なら同感である。
そんな親は高齢でも現役で活躍してるし、我が子に負けず劣らず努力、進化の途上である。
高齢者のみの家庭が多くなった。
また高齢者の住む割合が多い住宅地が多くなり小中学校の統廃合もよくある。二世代、三世代の同居となれば家族間の軋轢もあり安穏に暮らせないだろう。単身や老夫婦だけでも何もやることのない苦しみもある。
遊びは新しい、知らないことの研究、挑戦のようなものである。形を変えたゲームそのものである。奥の深いゲームは飽きないし生涯続けられる。
簡単なゲームは暇潰しにはなっても何も産まない怠惰の世界でありkill timeの世界だ。
小さな子どものように目にする物、触れるもの、音や、匂い、味にあそぶ。大人の世界は遊びの中でやり遂げた達成感、満足感を求める。
自分の仕事さえ遊びにしている人は沢山いる。
「寒さ暑さも彼岸まで」明日あたりは彼岸入り。
昨日までの30℃はどこへ行ったのか寒いくらい涼しい。
岩魚釣りの傍ら砂金取りしてる。
平日はタオルを巻いてる親方の下で植木屋の下働き、休日は親方の後をついて砂金取り。
定年後も金「カネ」取りに余念がない。年金とアルバイトと砂金取りでこの二人の生活は羨ましいくらい余裕です。「亭主は元気で外がいい」とほざいてるカミさんの顔が見えてくる。
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