夢、a dream

私の少年時代は、日本中の小中学校は生徒数が多かった。中でも私の育った町には中学校が一校だけで3学年合わせると1500人を超えるマンモス校であった。木造2階建ての前庭は立派な植栽があり、

毎日見るとはなしに見ていても、凄いお庭だと子供心に感じた。


山の麓に住んでいたので、リヤカーで山石や木を掘り、お庭作りの真似事して遊んでいた。


東京に出てから武蔵野周辺で盛んに植木が栽培されてるのを見て、とある農家の門戸を叩いて教えを請うた。紆余曲折を経て今もなお、お庭の仕事をしている。


「植木屋の叔父さん、何年植木屋さんしてるの?植木屋さんは何代目なの?女の私に教えてください。無理かしら?親方と同年代だけど教えてください。頑張りますから。」

仕事に行くとこんな話が出てくる。女の方でも造園の仕事に憧れる人もいる。またそれを実践してる人も見かけられる。


私のところには30歳、62歳、63歳、72歳そして私が73歳。合わせて300歳のメンバーで、今どきの若い人向けのガーデニングをしています。


若い頃は草花や雑草は別の業界の仕事と思っていた。今でもシルバーセンターのような所では

植木剪定班と雑草処理班は分かれて作業してしてる。


そのように植木職人は松や庭石を扱うのであって、ちまちました草や花に関わらない風情がある。
それで食えれば上等この上ないのだが、世の中そうは問屋が下さない。

家族を養って食えるようになるにはその道を極め、努力、研究、進化してなるものだ。


世襲して大成する人は多い。代々蓄積された経験値の土台があり後継者はその代々のレールに載っていけばそれなりに食える。


今おもえば少年時代に朧ながら育んだ夢は、とんでもなく巨大で遠くに見えた。

周りに指標は皆目なく、単身その世界に目をつぶって飛び込むしかなかった。


いつの時代の若者もそれぞれの夢の実現に向かって一人小さな勇気を振り絞って立ち向かい、飛び越えて生きてきたし、生きている。


夢は若者だけのものでも無い。


長寿社会の現在は、中高年者もリタイヤ後の夢にトライしてる人も多くいる。
技術やノウハウを持たないまま資金を投じて起業、開業するのは生き残りの生存競争世界をあまりにも知らなすぎる。

夢追い人は道標の無い道なき道を身震いを堪えて歩んでいく。できるかどうか見えないものにひたすら追い続けるだけ。


社会保障の圏外に生きて行く勇気がないとできない究極に生きて行く。


社会保障や長期ローンの組める人々とそうではない異人種が抱く夢はまさしく野人そのものである。


好きこそものの上手と言われる。的を得た言葉である。その道10年も長続きすればやがて食えるようになり一家を成すのだろう。


野人だって成功すれば普通の優しい人種である。



「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。

勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば害その身に至る。己を責めて人を責むるな。

及ばざるは過ぎたるより勝れり。」


これは徳川家康の遺訓。


植栽から1年経過。


シーサーに敬意を表して前後をガーデニングした。

みやぎ野造園

1977年宮城県仙台市で開業。現在は富谷市明石にて営業。 近年は庭石の撤去工事が多く、その石を破砕して再利用した お洒落なロックガーデンやガーデニングに力を入れています。