春を食べる
当地仙台地方にも桜が咲き始めた。
近年は小中学生の入学式に合わせてそのお祝いに咲き始めてくれるようだ。
人々の祝いの言葉よりこの桜の開花は子供たちには記憶深く思い出になるだろう。
里山のあちこちに蕗のとうが花開いてる。気がつかなかった。
だいぶ開いていたけど遅咲きを選んで摘み取ってきた。
天ぷらが美味しい。
南国育ちの私のワイフも日本の春は美味しいと山菜のオーダーがくる。
田圃の中に芹がある。
スーパーで売ってるヒョロ長いニラのようなものでなく、平べったく生えてる田芹である。
凍土のなか生き延びた野草、土の表面にへばり付くように生えてる。
茹でれば赤黒い灰汁が出る。露地栽培のほうれん草のようだ。
蕗のとうもこの田芹もアクの強い苦味が田舎者の口には絶品の味である。
幼児の頃に口して吐き出したのを懐かしく思い出す。
30年も前になるがファンタ、スプライト、コーラの売ってる自販機が至る所にあった。
空き缶、空瓶も至る所に放り投げられた。ある時、おーいお茶が現れた。
甘い炭酸水の絶頂期に渋いお茶は売れないだろうと思いきや、今やソフトドリンクは消え、
代わりにお茶が飲料水売り場を席巻している。
お茶の渋みが美味しいと子供たちにも認知されている。
植物の中のアク、渋味が美味しいと認知するのは単に日本人だけではなさそうである。
桜が咲いて色々な仕事のオーダーが入ってくる。
まだ雑草が目立つほど生えてないにも関わらず、今年の雑草対策作業の予約が次々と来る。
また植物との戦いのシーズンが来た。
ウクライナとロシアの戦いは人の命の消耗戦である。
草ぐさは夥しい種子を残して生き残りのサバイバルをしている。
人間は兵隊さんになるために生まれたのではない。
豚くんや鶏さんのように食べられるために生まれたのではない。
カゴの中のカナリヤは解放されもまたカゴの中に入り。
繋がれた犬はツナが切れて放たれてもまた綱の元に戻る。
そこには食べものが常にあるから。
サバイバル、生存競争に勝ち残れない弱みがそうさせるのだろう。
アク味、苦味は植物の生き残りの方策なのかもしれない。
畦道で採った蕗のとうと田芹
3月のロックガーデン。夏には見違えるような風景が現れる。雨の中の作業でした。
0コメント