無償の愛
老いた先にどれほどの人が頼りになるか?という動画があった。3人いるという。「1人は自分自身、知恵ある師、そして無条件の愛を持つ人。」単的に自分自身というのは正解である。
近年、高齢者の方からの仕事の依頼が多い。80代、90代。そして車の運転も現役だ。中には100歳の方から電話が来る。これらの方々に共通してるのは折り返し電話をすると留守電になっており録音機能を付けてますのアナンスが流れてくる。こちらも構わず名乗りメッセージを伝えると受話器を取り「ハイハイー。」と在宅してる。高齢者に不審な問い合わせがくる不穏な時代で高齢者なりの防衛策なのだ。
インターネットの時代、とんでもなく便利な社会で検索すればたちまちなんでも調べられる。本、新聞、テレビも要らない。必要な情報は画面に出していながらにして仕事になる時代だ。
このインターネットシステムの精通者はこれで巨万の富を得ている。社会の利益に繋がるのであればそれも許せるが悪用してる者がまたたくさんいる。
小説家の書くストーリーで落涙することがある。映画を見てその演技にもらい泣きすることもある。詐欺師が電話口でストーリーと演技を何百回と繰り返してるうちに嘘のストーリーも迫真の演技となる。高齢者を騙すのはその道のプロには容易いことだ。
振り込め詐欺の暗躍する背景に日本の高齢社会がある。被害にあうその高齢者の多くは単身生活をしているケースだ。
おおよその生き物は子孫を残すために努力、進化している。豚は一度に10匹ほどの子供が生まれる。おっぱいは10個あるのは多産するための進化なのだ。彼らは食べられることを運命として受け入れている。
「もうじき食べられるぼく」という本がベストセラーになっている。ネズミ算式と言われるほど多産のネズミたち魚編に弱いと書いて鰯だ。その鰯も鼠、豚は食べられる運命を受け入れたのだ。彼らの長い生存競争の中で少数の生き残る者たちのためにその運命を受け入れることにした。
動物、鳥、魚類も含めて全ての親は子育てをして世に出している。自立した子供に何の見返りも求めない。自立するまでの支援は親の本能でありそして愛なのだ。
役目の終えた親たちはどこへ行くのだろう。事故で死んでる動物の遺骸は時折見られる。多くの野生生物の最後の姿を見た人はいない。子孫を残し何も望まず、求めず人知れず消えていく。
長寿の人間は子育ての終えた後も永く生き続ける。多くの高齢者は夫婦あるいは単身で生きている。
神は自らを助けるものを助くといい。高僧はは自力本願を旨として生きよという。自らの手足で心で自らを愛おしむのは究極の無償の愛である。
それは生き物の本能であり自然の姿である。いずれの神も同じことを教えている。生まれることも死ぬことも自らの意思ではない。
また日が昇る。
我が家から見える日の出。
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