案ずるより産むが易し
脚が冷える季節になった。
万病は冷えから起こると言われる。
その冷えは心臓から遠い手足からくる。
確かに色々な箇所に癌が住み着くけれど一番熱のある心臓にはない。
癌は熱に弱いと言われる。
今年の夏は異常に暑く年配のスタッフは皆熱中症になったし、
その後も体調を崩してそのまま休んでる人もいる。老体も熱に弱かった。
もともと少人数でやりくりして来たのだから、今更人手が足りないなどと大騒ぎすることもないのだが年の寄る波には逆らえないのがいささか残念だ。
仕事をしていると様々な難題に突き当たる。
狭い、広い、高い、低い、予算が、隣家のクレーム、オーナーの性格。
どれもこれも実際に始めればそれぞれ問題はなくスムースにことが運ぶ。
机上での心配も悶々と眠れない夜も嘘のようになる。経験の積み重ねが生きてくるのだ。
また難しい仕事が舞い込んできた。
今回の難題は工事、作業の類でなく設計者のキャラクターに同調しなければならないというところにある。
デザインや理想を前面に出す設計者と、管理し易く気候に合った樹木、雑草の出ないようにすることを念頭に思い描く私と真逆の仕事に悶々としている。この請負仕事は間も無く始まる。
11月の半ばなのに休憩時は日陰で過ごすほど暑い日が続く。
今日の現場はまさしく私が常に感じている教訓のいっぱい詰まったお庭だった。
お庭に池は作るな。果樹は植えない。狭いところに大木になる樹木は植えない。
地肌は極力隠すようにする。これらを無視された私の思いとは真逆なお庭であった。
池がありそして梨、花梨、夏目、グミ、スグリ、柘榴、横に広がった梅、
見上げるほどの桜の木が二本。
なり物の果樹の根もとには無数に落ちたそれらの実と、
落葉したその枝には収穫されない実がどこか遠い故郷の原風景を思い描かされた。
作庭を依頼したオーナーさんはこの風景の中で幼少、少年時代を過ごされたのだ。
「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」少年の頃はこの歌の如しであったろう。
「春の小川」は母に手を取られて歌っていたようにせせらぎの流れまで作られていた。
豊かな幼少期だったのだ。
その後、経済成長期の産めや増やせの増産また増産、過度の農薬使用で昆虫、水棲魚類が消えた。
当然それらを捕食するものも消えた。そのような時代以前の日本の風景に憧憬して作られたお庭であった。
思えば遠い故郷の風景は人々の生活があってできた世界である。
牛馬を養うために家屋敷、農地の草刈りをして成り立ってきた。
その世界には耕作地放棄して荒地にするところはなかった。
草葉を食む牛馬やヤギもいない今、雑草は人間の害、敵そのものになっている。
そしてそれがビジネスチャンスの一角となっている。
ホームセンターの店頭には数多の除草剤が並んでいる。
あんまり仕事が混んでるので以前手伝っていただた方にメールした。
「バイトしてくれない」「オーケイです。3人は出られます。」「助かる〜」
捨てる神あれば拾う神ありは角の如し。
自分の思い込みや主義主張を引っ込めれば仕事は上手くいく。
設計者との折り合いはともかくとすれば後のことは野となれ山となれで行くしかない。
下請けの辛いところだ。
楽観的に「案ずるより産むが易し」で今回もtry and tryでいく。
施主様の意向を繰り返し確認してこうなったお庭。300m2の敷地の中で土の部分はこの
24m2だけで他は全てコンクリートのお宅です。
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